話を戻そう
なんだかんだと色々あったが予想していたよりもあっけなく訴訟は終わった

そのときの日記の抜粋↓


終わった・・・
2011年03月10日22:07

裁判2回目(H22.9月)裁判所から和解案の提案

裁判3回目(H22.10月)

裁判4回目(H22.12月)陳述書提出(双方の現状の報告)

裁判5回目(H23.1月)嫁が和解案を条件付で承諾

裁判6回目(H23.2月)その条件に関して揉める

裁判7回目(H23.3月)なんだかんだで決着 ←今ここ


とりあえず補足の説明として、大きく動きがあったのは1月で
なんと糞嫁が和解案をのむとのこと。
まさかの展開に喜びかけたが、問題だったのはその条件

「月1の面接交渉を月2回に増やし、さらに内1回は宿泊を伴うものとする」

んで、なんだかんだで揉めてはみたものの一応今日決着が着きました。
終わった・・・終わったんだ・・・

こうして、多少不本意な内容ではありつつも俺は親権を獲得した

ポイントは「判決」ではなく「和解」であるということ
金銭関係(慰謝料、養育費)と引き換えにはなったものの
当初の目的を達成する事ができた

なぜそこまで親権にこだわったのか、それは俺はもちろん子供を愛しているし、
そもそも子供の存在が俺のアイデンティティになってしまっていたからだ

子供を取り戻すと同時に自分を取り戻す為の戦いでもあったんだよね

そんなこんなで月2回になった面接交渉をこなしつつ、
ちょっとしたいざこざもありつつではあるが
子供も変わらす元気に育ち、そして現在に至っている